特に私が感動したのは富士五湖と富士山本当に美しいですよ。
2007年2月に撮影されたもので、2月の寒い時期ですから空気が澄んでいる。
なにより晴天の富士山がこれほど美しいなんて、日本一の山です。
そしてアングルが地上とはまったく違いますからね。
河口湖と富士山が雄大に眺められるのは
空中からでしか見ることができないでしょう。
次に田んぼの夕焼けです。
5月の田植え時期ですから、一面に水を張った田んぼに
夕焼けの赤黄色が反射して、ここでしか見ることができない
自然の美しい表情があります。
その他にも様々な日本の美しい風景があります。
都市や山や古い建物など
やはり日本は美しいと思います。
この美しい景色を守っていかなくては、
未来の人に申し訳がないです。
そのためにも今の自分にできることは
やっていきましょう。
たとえ小さなことでも、積もっていけば大きな力になります。
反対に小さな無駄でも積もれば大きな無駄になります。
自分が少しくらいいいだろうと思ったことを
みんなが思えば大きな環境破壊に繋がるのです。
自分の責任と義務というものを今一度考えてみましょう。
自己啓発を考えるに有意義なのでお話ししてみたいと思います。
遠い昔の物語です。
あるところに雪山がありました。
あるところといっても舞台はインドになるのですが、
日本でいうなら青森とか北海道のような寒いところですね。
そこに物語の主人公である鳥が住んでいました。
この鳥は遊ぶことが大好きなので一日中遊んでいるのでした。
この雪山の気候はお昼は比較的暖かいので過ごしやすいのですが、
夜はすこぶる冷えるのでとても屋外で眠ることはできません。
ところがこの鳥の毎日はこんな感じなのです。
お昼は暖かいので遊んで暮らしているのです。
そして日が落ちるころからだんだんと寒くなってきます。
そして夜中になると眠れないくらい寒くなるのです。
木の枝に摑まりながら、こう言います。
『寒い寒い、寒くて凍えるよ。』
ブルブル震えながら、
『とても寒い、寒いから眠ることも出来ない』
『明日は寒さを避けることができる巣を作ろう』
うつらうつらと眠いのを我慢しながら夜を明かすのです。
そして夜明けが来ます。
太陽の日が暖かい朝がやってきます。
体がぽかぽかと温もってくると、
あれほど強く心に思っていたことを忘れてしまうのです。
こんなに天気が良いんだから遊ばないともったいない。
こう言って一日中遊び回るのでした。
あっという間に日が暮れて夜がやってきました。
そして鳥はまた思うのです。
『寒い寒い、寒くて辛い』
『明日こそは巣を作るぞ』
『こんなに寒いのはもう嫌だ』
こんなことを一晩中思いながら夜が明けるのを
ひたすら待っているのです。
ところが太陽が顔を出すと、
あれほど寒くて辛かったことなど忘れてしまうのです。
今日遊んでも大丈夫、大丈夫。
遊ぶのは楽しい。
これは多くの人間が陥ってしまうことです。
明日こそやろう。
明日からやればいいんだ。
こうやって先延ばしにしていることがありませんか。
そしていつまでも目標が達成できないでいる。
今日しようと決めたことは、今やらなければいつやるのか。
自分が成長しようとすることはとんでもないことをやってのけることじゃないです。
毎日毎日、少しずつでも前進していくことが
大事なことなのです。
健康に関しては個人任せというか、個人の自由ということで何も制定されていなかった。
ところが、食生活の乱れから病気になる人は年々増えている。
それにつれて、医療費も増えているのである。
個人が負担する分については国がとやかく言うことは出来ないが、
国民保険や老人保健は国が医療費の負担をするのである。
このまま団塊の世代が病気予備軍となって
大挙病院へ押しかけたらどうなるだろうか。
あっという間に保険制度は崩壊するだろう。
国民の健康を願ってという建前はわかるが、
医療費の負担が増えるのを防ぐという本音も見えてくる。
ともあれ、食生活や健康に対する啓蒙を怠ってきた国の責任は大きい。
健康のためのサプリメントは年々増加しているし、
売り上げも目に見えて増えている。
健康産業は好景気に見舞われているのである。
それでも、メタボリックシンドロームに対する知識を持っている人は少ない。
またメタボリックシンドロームが生活習慣病と結びついて
深刻な病気になることを危惧しているというか、
真剣に考えている人も少ない。
今こそ病気に対する対症療法でなくして、
予防医療に力を入れるべきである。
その観点からすれば、メタボ検診は大いに賛成である。
メタボ検診情報サイトにはメタボ検診に関することや
糖尿病などの情報もあります。
普段からの生活習慣を正しいものにすることが大事です。
]]>まず始め方であるが、最初に証拠金というものをFX取引業者に
預けることによって取引が開始される。
外貨預金や外貨MMFのように取引金額の全額について自己資金を出す
のではなくて、一種の担保のような資金をFX業者に預けて取引を行うのだ。
証拠金の額は、最低1万円、一般的には10万円くらいが相場のようだ。
この証拠金に対してレバレッジをかけることで、
預けた証拠金の10倍から最高200倍までの取引が可能になるという仕組みである。
レバレッジとは、てこの応用という意味で、100円で10円稼ぐことが出来るなら、
1000円借りたら100円稼げることになる。手持ち資金が100円しかなくても、
資金を借り入れることで実際には自己資金よりも大きく稼げることの意味だ。
レバレッジの倍率は業者によって異なりますが、最高レベルで見ると、
10万円の証拠金に対して最高2000万円の取引が可能になる。
この点がFXの魅力でもある訳ですが、FX初心者の場合はいきなり
高いレバレッジ率をかけてしまうと、稼げるときはいいのだが、当然のこと
リスクも大きくなるのある。
最初は10倍程度の低いレバレッジで練習してみて、
FX取引の概要や要領をつかむところから始めるのが普通である。
慣れて来て、初心者レベルは超えたなという頃になったら、
レバレッジの率を上げて、より多くの額の取引をすればよいのである。
なぜ、このような証拠金取引の仕組みになっているのかというと、
為替レートは一般的には変動率が小さいので、キャピタルゲイン(為替差益)で
儲ける場合には相当な額の資金がなければ、大きな儲けが出ないからなんです。
相当な額の資金を全部自己資金でまかなうとなれば、おそらくFX取引を始めるという
人は随分と少なくなると思われる。それでこのような信用取引きのような形で証拠金を預け、
レバレッジをかけることによって、FX参入者の敷居を低くしているんですね。
いずれにせよ、楽して儲かるとか、絶対に儲かることもなく、自己資金の何十倍ものお金を
運用して損をすれば、元金だけでなく借金までも出来てしまうというリスクがあるということ
だけは肝に銘じることである。
僕は○○と思うというように使う言葉ですね。
この漢字は、田んぼの田という字と心から成る字です。
この田というのは、頭の形が変化したものです。
つまり田んぼではなくて、頭と心というのですから、
人間の深い精神の作用を表現しているのです。
おもうは心にいつも慕い思う、いつも心にあって忘れない念という思い。
いろいろ思慮分別してして思う惟、おもう浮かべる想、
推量して思う意、いつまでも胸の奥底におもう憶、そういうようなおもいである。
思は心の動機つけの働きのことで、意思の発動である。
思う対象を思考し、分別することを思惟という。
思惟とはひとつのことをずっと思い続けることである。
また思惟とは理論的に考えること、理によって意味を察知することともいえる。
仏道修行には、聞・思・修の三段階があるといわれている。
教えを聞いて、自分で思惟して正しい理解をして、
教えどおりに実践修行することをいう。
]]>季節の分かれ目の日という意味ですね。
その中で立春の前の節分だけが豆まきという風習として
残っているのです。
春といえば一年の始まりのときですから、
この一年が無病息災でありますようにという願いを込めて
鬼は外、福は内というように掛け声をかけてマメを撒いた。
このマメは大豆ですね。
畑の肉といわれるように栄養が豊富です。
豆腐はヘルシーな食べ物として見直されるようになっています。
また大豆にはイソフラボンという成分があって
これが健康に大変よいということで注目をあびています。
アメリカの開拓時代には、入植者は貧しくて食べるものが
満足に手に入らなかったといわれています。
そんな彼らの栄養を守ったのは大豆なのです。
西部劇を見る機会があったら食事のときにビーンズのスープ
を食べているシーンを見ることになります。
大豆は人間にとって重要な栄養を多く含んでいるのです。
そういう栄養学がない時代にあっても
この大豆を節分の日に年の数だけ食べると
長生きするという風習があったというのは
昔の人たちは知らず知らずの内に、
何が体によいかということを知っていたのですね。
先人たちの知恵には驚かされます。
科学万能の時代で、医学も進歩したとはいえ、
人間の体は強く進化したわけではありません。
むしろ便利な世の中になって、歩くことも少なくなり、
現代人の体は弱くなっているのではないですか。
風邪を引く人は年々多くなるような気がします。
花粉症やアレルギー、新たな病気の発生など
むしろ体にとっては悪い環境になっているように感じます。
体が病気になっては、楽しい生活は出来なくなります。
自分の生活態度を見直して、体に良い食べ物、そして運動を心がけて、
体の健康を保つようにすることが、
きっと心の健康に結びつくように思います。
しかし過去は過ぎてしまって今ではありません。
もちろん思い出や記憶はあります。
でも過去に行くことはできないし、時間を戻すことはできないのです。
過去は過ぎてしまって、どこにも存在しないのです。
また未来も同じなのです。
未来は存在しないといってもいいでしょう。
来年という年月は、時間が経てばやがて訪れるでしょう。
今日から1ヵ月後の日付は1ヶ月時間が経てばそうなります。
しかし1ヵ月後は未来でなくて、「今」なのです。
つまり、過去や未来は想像することはできます。
でも常に今しかないのです。
今を生きているのです。
未来は訪れるといいましたが、
もし、明日死んでしまったら、未来はないのです。
だから今この時間、この生きている時間に未来は存在しないのです。
人間は常に今を生きているのです。
今しか存在していないともいえます。
だから今を精一杯生きよう。
過去の思い出浸っても何もならないです。
また未来の夢を見ても何も起きないし、何も変わらない。
今を精一杯生きているからこそ、自分の夢を現実にすることができる。
過去に何があったとしても、過ぎてしまったことです。
今を精一杯生きることです。過去は関係ない。
そして未来に夢を見てはいけません。
今このときこの瞬間に夢を見ましょう。
夢を現実にする行動をしましょう。
最近自殺する若年者が目立ちます。
悲しいことです。
生きていることは辛いことも多いと思いますが、
辛いことがあるからこそ、楽が楽であるのです。
毎日、楽しいことばかりしていると、
何も楽しくなくなるのです。
苦しいことや、辛いことがあるからこそ
楽しいことが、本当に楽しいのです。
本文というのは、本来備わっている性質のことです。
この本分をわきまえるというのは、他人とことではなく自分のことですね。
自分というものを知って、自分のやるべきこと、できることをやるという意味です。
けっして背伸びしたり、見栄を張ってできもしないことをやらない。
そういうと、チャレンジ精神が無いような意味に捉えられても困るのですが、
そんな意味ではありません。
たとえば、給料が20万円しかないのに、20万円以上使えば借金が増える。
20万円では遊ぶお金が無いから借金して遊ぶのは道理に合わない。
また、格好いい洋服が着たいと思っても、
30万円も50万円もするようなブランド服を購入するには、
懐具合が合わないのであります。
自分の本分相応に生活する。
それは貧乏人は一生貧乏で良いということではありません。
そういう生活がしたいなら、
まずお金をたくさん稼ぐように最大の努力をする。
そしてお金を稼げるようになったら、
多少の贅沢は、分相応になるのです。
いずれにしても、他人よりも良い生活がしたければ、
それ相応の努力をしなさいということである。
また、そういう努力をしなければ、
贅沢も面白く感じられないのではないか、
そういうふうに思います。
苦労の末に手に入れたものは満足度も高い。
苦労の末の楽は、喜びも大きい。
人間というものは、そのような造りになっているのです。
これは当たり前といえば、本当に当たり前のことである。
それにも拘わらず、この道理を理解しない人が多いようである。
そう悩んでいた、女性と接するのが苦手な男性たちがなぜ・・・
次々と女性と出会い、押し倒されるほど、女性を積極的にさせること出来たのか?
自分に自信のない消極的で”内気”性格だからこそ、女性の意識を思い通りに操り、好きにさせることができる・・・
カルト宗教でも利用されている、相手の意識を取り込む非道なテクニックのすべてを出し惜しみなくお話します。
あなたはもう、「どうやって口説こうか?」と悩む必要はありません。言い寄って来た複数の女性の中から「どの子と付き合おうか・・・」と、選ぶことに悩んでください・・・
]]>スィートノーベンバーという映画を思い出します。
2001年のアメリカ映画です。
主演は、マトリックスで有名なキアヌ・リーブスとトリコロールの燃えての
シャーリーズ・セロンです。
11月の恋人という意味なのですが、
仕事人間のキアヌのところに無理やり押しかけ恋人でセロンがやってくる。
とまどうキアヌに対してセロンは大胆に人生を楽しく過ごす生き方を教える。
キアヌは徐々に仕事にしか目を向けていなかった自分を考え直しのであった。
やっと真実の愛の目覚めたときに、突然セロンは彼女の元を去っていく。
何があったのか?まるで理解できないキアヌは
とうとう真実を知ってしまうのである。
甘く悲しい二人の運命
ただ美しい恋した思い出だけが残る
ぜひ見てください。
恋をしたくなる
自分の大切な人に会いたくなります。
忘れていた大事なことを思い出す映画です。
あなたの大事な人は誰ですか?
]]>この中秋の名月というのは、旧暦の8月15日のことなのです。
それがだいたい9月のお彼岸のころになるのですね。
またこのお月様は満月ではありません。
月例としての満月は9月27日の朝5時です。
こまかいことはさておき、あなたはお月見をしましたか?
私は運よくきれいな月をみることができました。
朝は曇っていたのですが、夕方から晴れ渡ってきました。
煌々と輝く月は非常に明るく、これが太陽の光の反射かなと
疑いたくなるくらい明るかったです。
そしてまた、美しいと思いました。
昔の人たちは今ほどの娯楽がなかったこともありますが、
こんな月をみて楽しんだのですね。
現代人よりもはるかに心の贅沢を楽しんでいたと思います。
心が豊かです、情緒があります。
太陽は命の輝きそのものですが、
月は癒しの明かりです。
忙しい現実を少し忘れて、今夜でも構いません。
月を観て心を休めてください。
そうすればもっと活力が湧きますよ。
]]>つまり慧という漢字は、心をよくめぐらすという意味になるのです。
智慧は仏教用語で、サンスクリット語では「プラジュナー」といいます。
その意味は、言葉や概念によってものごとを識別してとらえるのではなくて、
ありのままにものごとを見る智慧である。
ありのままにものごとをみるのは以外に難しい。
たとえば、野の道を歩いていて綺麗に咲いている花をみつけた
としよう。「綺麗な花だ」と思った。
なんの花かと近づいてよく見るとコスモスだった。
「なんだコスモスか」とそれがわかって立ち去った。
これは綺麗な花と感動したことが「コスモス」という言葉に置き換えられて
わかったつもりになって、ありのままの美しさが見えなくなってしまった。
また虹は何色かと尋ねたら誰でも7色というだろう。
ところが、虹を3色という民族や5色という民族もいるのである。
これは文化の違いによって起きるのである。
つまり人は自分の目で見ているようで見ていない。
文化の目でみているのだ。
文化だけではない、自分の価値観や先入観でものごとを見ているのである。
智慧というのは、仏教用語であり、その意味は
真実をそのままに、あるがままに見るという意味である。