分をわきまえる
分をわきまえるの『分』は本文という意味です。
本文というのは、本来備わっている性質のことです。
この本分をわきまえるというのは、他人とことではなく自分のことですね。
自分というものを知って、自分のやるべきこと、できることをやるという意味です。
けっして背伸びしたり、見栄を張ってできもしないことをやらない。
そういうと、チャレンジ精神が無いような意味に捉えられても困るのですが、
そんな意味ではありません。
たとえば、給料が20万円しかないのに、20万円以上使えば借金が増える。
20万円では遊ぶお金が無いから借金して遊ぶのは道理に合わない。
また、格好いい洋服が着たいと思っても、
30万円も50万円もするようなブランド服を購入するには、
懐具合が合わないのであります。
自分の本分相応に生活する。
それは貧乏人は一生貧乏で良いということではありません。
そういう生活がしたいなら、
まずお金をたくさん稼ぐように最大の努力をする。
そしてお金を稼げるようになったら、
多少の贅沢は、分相応になるのです。
いずれにしても、他人よりも良い生活がしたければ、
それ相応の努力をしなさいということである。
また、そういう努力をしなければ、
贅沢も面白く感じられないのではないか、
そういうふうに思います。
苦労の末に手に入れたものは満足度も高い。
苦労の末の楽は、喜びも大きい。
人間というものは、そのような造りになっているのです。
これは当たり前といえば、本当に当たり前のことである。
それにも拘わらず、この道理を理解しない人が多いようである。