人工と自然について考える
自然あるいは天然という言葉と人工的なものは対比する言葉として扱われます。
都会は人工的に作られたものですから自然がなくて、田舎は建物も少なく自然が多い。
そのように捉えているのではないでしょうか?
都会は人間が多くて疲れるから、たまの休みには人の少ないところでリフレッシュしないと
気分転換ができない。ストレスがたまるという人も多くいますね。
私もこのように考えていました。ところがアメリカの医者であるパッチアダムス氏の著作の中にある次の一文でまったく考えが変わってしまったのです。
人間も自然の一部だ
そう人間も自然の中ではひとつの部分なのですね。人工と自然を分けて考えていた自分が間違っていることに気がついたのです。人間も自然なんだ。
そうなると満員電車も少しは我慢できるようになりました。また都会も実は自然の一部なのだと捉えるようになったのです。自然ですから草や木、昆虫や動物と人間は同じカテゴリーの中にあるのです。何も人間だけが特別なことがないのです。
今から5000年前の人間のミイラが発見されて話題になったことがあります。そのミイラを研究すると科学は発達していなかったものの、人の生活としては今とほとんど変わらないということがわかってきたのです。
でもよく考えてみると、わずか5000年前のことも記録に残っていないし、2000年前の生活もほとんど推測でしかないのです。そして人間の作った人工物もほとんど残っていません。この先5000年経ったとしたら今の人間を知るものはまったくいなくなります。そして作られたものも姿がそのまま残るものがないでしょう。
それが本来の自然の姿なのです。実際には一人の人間がすることはたかが知れているのです。しかしそれでも人間は生きていくのです。だから昔のことを考えてもしかたがないし、先のことを考えても何もならないのです。
せっかく神より生命をいただいて生まれてきたのですから、精一杯生きようではありませんか。精一杯生きることが自然の摂理にかなったことなのです。