苦労は必要だと思う
慣用句に『苦労はかってでもせよ』という言葉があります。
誰でもそうですが、できれば苦労はしたくないものです。
私も若いころはそのように考えていました。
ところが、この歳になってくるとまったく反対の考えに変わりました。
苦労があるから喜びがあるのです。
苦労の対極に喜びがあるということがわかってきたのです。
つまり苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きいということです。
苦労が少ないと喜びも小さいのです。
最近のネットでは、お金儲けのノウハウの宣伝が大変多いです。
お金儲けそのものは悪くないと思いますし、
それを否定する考えもありません。
ただし、お金儲けの動機が苦労をなくすとか、
自由になるということばかりが強調されているのは問題です。
通勤地獄から開放されるとか、
会社に行かなくて束縛がない。
それで本当に良いのかということを考えてほしい。
若くして大金持ちになった人で生涯幸福だった人はいないと
思います。
それは、お金があれば幸せだということが間違いということです。
お金持ちイコール幸福ではありません。
ほとんどの場合が、お金儲けが目的になっているように思います。
それは、本当の人間としての人生観が確立されていないからでしょう。
この人生観はお金で身に付くものではありません。
やはり苦労した中で身についていくものだと思います。
しかし無意味に苦労するという意味でもありません。
しっかりと自分の人生を考えて、何が必要なのか、
見据えた上での苦労ということが有意義だと思います。
楽してお金儲けをしても、一時は幸福感があるかもしれません。
しかしお金儲けの幸福は、ほとんどが物質を所有するために使われます。
あるいは快楽のために消費されることが多いです。
それで真に幸福は得られません。
あまりにもお金儲けという言葉が氾濫するネットには
危機感すら感じます。