智慧について
知恵と書いているが、それは略字で本来は智慧と書きます。
慧の心から上の漢字は意の語源と同じところからきている。
語源はめぐらすという意味があります。
つまり慧という漢字は、心をよくめぐらすという意味になるのです。
智慧は仏教用語で、サンスクリット語では「プラジュナー」といいます。
その意味は、言葉や概念によってものごとを識別してとらえるのではなくて、
ありのままにものごとを見る智慧である。
ありのままにものごとをみるのは以外に難しい。
たとえば、野の道を歩いていて綺麗に咲いている花をみつけた
としよう。「綺麗な花だ」と思った。
なんの花かと近づいてよく見るとコスモスだった。
「なんだコスモスか」とそれがわかって立ち去った。
これは綺麗な花と感動したことが「コスモス」という言葉に置き換えられて
わかったつもりになって、ありのままの美しさが見えなくなってしまった。
また虹は何色かと尋ねたら誰でも7色というだろう。
ところが、虹を3色という民族や5色という民族もいるのである。
これは文化の違いによって起きるのである。
つまり人は自分の目で見ているようで見ていない。
文化の目でみているのだ。
文化だけではない、自分の価値観や先入観でものごとを見ているのである。
智慧というのは、仏教用語であり、その意味は
真実をそのままに、あるがままに見るという意味である。